間々田から国道4号を南下し、目指すは野木神社。 が、入り口を見失う。 古河市に入る手前の二股を右に入ってすぐだったと思っていたのだが、どうも思っていたのと違う。 正解より少し過ぎた辺りで右折してみると、気になる建物発見。 高くそびえる煉瓦の煙突。
あ、あれが野木の煉瓦窯か。
この辺りでは少し有名な存在、野木町の「ホフマン式煉瓦窯」である。 去年、新しく観光地として整備されたばかりの史跡だ。 行きたいと思った事は一度も無かった筈なのに、この日の私は好奇心の塊と化していたので迷わず向かった。
こじんまりとした地味な施設と勝手に想像していたのだが、思ってたよりも駐車場も広く、焼きたてピザが食べられるレストランも併設された、広々として綺麗な施設であった。
見学料は、たったの100円。中学生以下は無料である。 来訪者も多く活気がある。 史跡入口にもなっている「ホフマン館」へ入るとすぐに施設の方が声を掛けてくれる。 時間ごとに解説ガイド案内もしている。確か、ほぼ1時間毎と頻繁に行っているようだが、次の案内時間の30分後迄も待つ忍耐力が無かったので、待たずに見学することにした。 ヘルメットをかぶっていざ見学。
なにこれかっこいい! これも機能美と言って良い物なのか、無駄に飾ったりは何も無い筈で、ただ効率良くレンガが出来るよう造っているだけだと思うのだが、とにかく美しさと迫力に圧倒される。 レンガの事など何にも知らなくとも、要所々々に解説板があるので解りやすくて面白い。
この煉瓦窯は日本に現存するホフマン式輪窯の中で、最古かつ唯一の完全な形を残している物らしいので、大変重要な存在だ。 最初に火が入ったのは明治23年との事。
この「ホフマン式」というのは、ドイツのホフマン氏が考案し特許を取得した形だからだそうだ。 説明板によれば、
「環状の窯の中で火を循環させながら、窯詰め、予熱、焼成、冷却、窯出しの焼成工程を繰り返し、一度点火することにより半永久的に焼成可能なものです。」
との事だ。その規模と仕組みにただただ感心させられる。 年間450万個を生産し、昭和46年迄稼働していたそうだ。
煉瓦窯なんてマニアックな物、無知な私なんぞが観ても面白くは無いだろうと思っていたが、すっかり魅了されてしまった。 もし家のリフォームなどで外壁を変える事があったら煉瓦が良いなとすら思っている。 お値段的にとてもとても無理だろうけど・・・。 とにかく、何でも足を踏み入れてみるものだ。
「ホフマン館」では煉瓦窯に関する資料展示の他にも、渡良瀬遊水地の生物の紹介、また野木神社の大ケヤキで毎年子育てに来るフクロウなどの紹介もしている。 父親鳥は残念ながら最近亡くなってしまったそうで、その剥製が展示されている。
カウンターの係の方にお礼を言い、出て行こうとしたら「ダムカード」なるものを貰った。 すぐ近くにある渡良瀬遊水地の写真がプリントされている。カードでは「渡良瀬貯水地」と記されている。 発行元は国土交通省らしい。 いつか出会うかも知れないマニアへのプレゼントとしてとっておくとしよう。
渡良瀬と言えば、この施設のお隣にあった乗馬クラブ(今も乗馬クラブだけど別会社になった)の人気者だった、木曽馬(貴重!)の「渡良瀬権ノ介」君は古河市のネーブルパークのポニー牧場で可愛がられていたそうだが、つい最近、同じ茨城県内の乗馬クラブへ移動になってしまったとの事。もう気楽に逢いに行けないのは残念だが、「これまで同様に可愛がってくれるクラブ」らしいので一安心だ。
さて、お次は元々の目的地であった「野木神社」である。
煉瓦窯から600mくらいしか離れていない場所にあった。
煉瓦窯に向かう途中に看板があったので迷う事は無い。
1600年前に建立とは、これまた古い神社である。 提灯揉み祭りで有名な神社らしい。
入口の右側に大きな大きなケヤキの大木がある。
写真では分かり難いが、偉大な生命力を感じる大迫力の大木である。 見ているだけでパワーが貰えそうなこの大木こそ、毎年フクロウがやってくるという大木だ。 根元に白いフワフワした羽毛が落ちていたのは彼らのかもしれないと思う。 フクロウが来ているのか、はたまた別のターゲットが居るのかは分からなかったが、大きなカメラを上に向けて何かを探している方達が数名いらっしゃった。その筋の方達に人気のスポットなのだろう。
実は神社の神木は他にある。 拝殿近くにある大イチョウ。 約1200年前、坂上田村麻呂が蝦夷征伐からの帰り道に立ち寄って植えたと伝えられている。
その大イチョウの前に絵馬などを飾る棚が設置されているのだが、その一番上にはずらりと何かが詰まっている様な小さな布袋が並んでかけられている。
何だ?と思いよく見ると、小さな突起も付いていて、その周辺はほんのり色が付けられている。紛れもなく、ふっくらとした乳房だ。乳房が沢山ぶら下がっている。
ホントに何なのだ・・・。
その謎は大イチョウの側に立てられている説明板で判明した。 出産した女性が、乳が良く出て子供が健康に育ちます様にと、米ぬかを白布で包み、乳房に模した物をこの大イチョウに奉納する民俗信仰があるとの事。いつ頃からとか何が始まりとかは不明。
奉納してる方達もきっとそうなのだろう。何だかわからないけど、ご利益ありそうだから、またはあったと聞けば有り難がる。日本人のそういう所が面白いし、色んな事に感謝する精神に繋がっている様で、凄く大切だと思う。
そんな乳房達を見てほっこりした気分になり、いよいよ拝殿へ近づく。
思わず「うわ」と声が出た。
この躍動感溢れる龍の彫刻が素晴らしい!
神様に挨拶して、今度は写真をバンバン撮らさせて貰った。
撮影が下手で申し訳ないが、この飛竜や獏(?)や花も凄く良い。 これは安房神社で観たのと同等の物が観れるかもしれないと本殿への期待が高まる。
案の定・・・いや、全く期待以上だった。
伝わるだろうか。 私の携帯ではこれが限界なのが歯がゆいのだが、本当に見事。
所々傷んだり破損している箇所があるのが非常に惜しい。
これは名のある彫刻師に違いないと思い、帰宅後ネット上で調べてみた。
現在の社殿は文政2年(1819年)に三代目古河藩主・土井利厚によっての再建。
拝殿のあの竜の裏の銘に「石原常八主信」とあり、二代石原常八の作との事。
本殿の胴羽目彫刻には磯部敬信の銘。
棟札には彫物棟梁に星野政八・藤原昌真の名が最初にあり、石原常八と藤原主信は三番目となっているが、磯部敬信の名は無いとの事。
胴羽目の彫物は後に敬信が彫ったものが付けられ、他は政八以下上州の彫師が手掛け、政八は総棟梁的な存在で、実際は常八が主に手掛けたものでは無いだろうかとの事だ。
初めて目にする名ばかりであったが、さらに調べていくと、常八さんは左甚五郎から10代目だとか、敬信さんは野州彫刻師の第一人者だとか、皆、大名工達である事が解ってきたが、これ以上はまたの機会にとっておきたいと思う。
今度、彫師探訪の旅も良いかもしれない。
この野木神社、二輪草の群生地としても人気。
これはまだ早過ぎる時期に撮影した物。 この緑の上に小さな白い花が沢山咲くのだとか。恐らく4月上旬が見頃ではないだろうか。
”探検ぼくのまち”のノリで散策してみたが、予想以上に面白い一日だった。
小山近辺って面白い所あんま無いな・・・なんて思っていたが、全くとんでもない事だ。
遠くに行かなくても見所が沢山ある。これからの休日が益々楽しみになった。